「あづま袋」は、丸川商店オリジナルの松阪もめんの袋物です。あづま袋とは、風呂敷を縫い合わせて袋状にしたもの、昔から、包む文化のあった日本に西洋の文化が浸透して、包み物から袋ものになってきた頃つくられたものです。そのまま持ち手をぎゅっと結んで使っても、籠バックのインナーバックとしても便利な、様々な使い方が出来るバックです。
<素材>松坂もめん 綿100%
<サイズ>縦25cm横36.5cm(持ち手を結んだ状態)
[お取り扱いについてのご注意]
こちらの商品は、手作りの為サイズに多少の違いがございます。
松阪もめんは藍染をしている布のため、雨、汗、摩擦などによって色移りが生じる場合がございます。その場合お洗濯で落ちますが、予めご注意の上ご使用下さい。
色あせの原因となりますので、日光や蛍光灯などに長時間当てないで下さい。
松坂もめんについて
正あい染 「松阪もめん」
五世紀の後半、現在の三重県松阪市に渡来した「漢織」や「呉織」によって、日本で初めて紡織のメカニズムが持ち込まれました。その後は高度な技術によって、当時の日本の一大紡織の中心地となり、さらに六九八年、アマテラスの神に織物を献納することを義務づけられることになります。十五世紀になると、エジプトやインドを原産地とする「木綿」が日本に伝えられます。暖かく丈夫な木綿は「天下の霊財」とまで讃えられ、良質な木綿を栽培するのに適した松阪市の土壌と、古代よりの高度な紡織技術が出会い、十六世紀初頭に「松阪もめん」が生まれました。その後は、江戸(現在の東京)に店を構えた松阪商人の才覚と、それを織りあげる松阪の女性たちの美意識によって、当時の江戸の人口の半分に相当する、年間五十数万反の売り上げを誇るほどの一大衣料革命を巻き起こしました。特に、松阪出身の商人「三井高利」が江戸に開いた「越後屋(現在の三越)」の「現銀掛値なし、切売り」等の画期的商法の成功や、同じく松阪商人の太田利兵衛の手により開業した松坂屋(現在の松阪は、当時は松坂と表記していました)などの成功もあって、松阪もめんは、江戸の大ヒット商品でした。
松阪もめんの特徴である縦縞は「松阪縞」とも言われ、ベトナムから渡ってきた「柳条布」がそのルーツだと言われています。 「柳条布」は、文字通り、柳の葉の葉脈のような細い筋模様で、「千筋」や「万筋」などと呼ばれる、松阪もめんの最も古典的な柄です。 現在でも、歌舞伎役者が縞の着物を着ることを「マツサカを着る」と呼ぶことからも、縞といえば松阪もめんが代表的な存在であったことがわかります。 気質や態度、身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気があり、無駄に飾りたてず、派手に目立たぬことを「粋」と呼び、その「粋」を誇りとした江戸の庶民にとって、すこし離れると地味な無地に見えるが、よく見れば繊細なすっきりとした縦縞が走る松阪もめんは、正藍染めの糸を使い、洗うほどに深みを増す藍の青さを連ねた縞模様と素朴な風合いとが相まって、まさに「粋」の象徴でありました。 そして現在、松阪もめんの紡織習俗は、国の無形民俗文化財として見直され、見事によみがえりつつあります。 古人は言います。 「もめんは一日も欠くべからざる宝物、霊財なり」と。